どうも、こうちんです。
今日は「私のうつ病体験」シリーズの「中学高校時代編」についてお話したいと思います。
「私のうつ病体験」シリーズについては、以下の前回記事にてお話しました。
時間ありましたら併せて読んでいただければ、と思います。
うつ病〜この厄介な同居人と出会うまで
中学時代まで
小学生から中学生の頃までは、全く自覚症状のようなものはありませんでした。
むしろ活発というか優等生というか、クラスの学級委員なんかも毎年のようにやったり、所属していたサッカークラブやバレー部でも弱小チームながらレギュラーとして活躍するような子でした。
自信にも満ち溢れ、将来に対する不安やましてや「うつ病」などと付き合うことになろうとは全く想像していなかったように思います。
高校受験に失敗
本命としていた地元の公立高校に見事不合格!滑り止めとしていた遠方の私立高校へ行く羽目に。。
これまで何事にも自信満々で、本格的な「挫折」を知らなかったこうちん少年が味わった初めての屈辱でした。。
クラスメートにも顔向けできなかったし、何より高額な進学塾に通わせてもらっていた親にも申し訳なく情けなく、、中学卒業後の春休みは最悪の精神状態で過ごしたことを覚えています。
今思えば、これが最初の「出会い」につながるきっかけだったとは思います。
地獄だった高校時代
高校生活のスタート
期せずして始まった高校生活でしたが、それでも当初はどうにか前向きに頑張ってみようと中学から続けていたバレー部にも入り、気のいいクラスメートにも恵まれ、それなりに楽しむことができていました。
異変
それでも、中学時代までとは明らかに違う「違和感」を感じるようになっていました。
具体的には、
- 学級委員をやっていた中学時代のような「クラスの中心的な存在」になれていなかった
- バレー部では自分より上手い先輩や同級生がたくさんおり、レギュラーになれそうもなかった
プライドの高いこうちん少年はそんな状況を受け入れることが出来ず、クラスメート達からも距離を置くようになってしまい、バレー部もやめてしまいました。
つまり、自分の「居場所」を失ってしまい、学校へ行く理由を見出せなくなってしまったように思います。
そこから「異変」が始まりました。
具体的な症状
何しろ全ての他人と自然に会話をすることができなくなってしまいました。
学校へ行っても周りと全く喋ることができず、休み時間もひとり、弁当食べるのもひとり、、そんな状態でした。
何故そんな状態になってしまったのか?合理的な説明がいまだに出来ません。。
おかしくなった当初は何人かのクラスメートが心配して声をかけたりしてくれましたが、そのうち誰にも気に留められなくなっていきました。
こうなってしまうと学校へ行くのが苦痛で苦痛でたまらず、早く時間が過ぎ去ってとにかく「卒業」だけは何としてもしなければ、という一心で学校に通っていました。
卒業式の帰り道での出来事
そんな状態でどうにか迎えることができた卒業式。
これでひとまずこの苦痛から解放される、と安堵の心持ちになれるのかと思いきや、その出来事はひとりで自転車に乗っての帰り道に起こりました。
突然涙が溢れてきて自転車に乗りながら号泣してしまったのです。。
この涙の意味?正直今でもよくわかりません。
思い通りの高校生活が送れなかった悔しさ?悲しさ?寂しさ?自分への軽蔑?絶望?
何しろいろんな感情がこの時一気に溢れ出してきて収拾がつかなくなってしまったのを覚えています。
今にして思うこと
後悔
当時の私は「うつ病」という言葉など全く知らなかったわけですが、今にして思えばこれが「うつ病」との最初の出会いだったのかなと思います。
多感で気力体力に溢れ、生きているのが楽しくてしょうがないはずの高校3年間をほぼ棒に振ってしまった。。
幸い「不登校」の状態までには至らず卒業だけはすることができましたが、当時「適切な対処ができていれば」という後悔はあります。
どうすればよかったか?
もしタイムマシーンがあって当時の高校生のこうちん少年に会いに行くことが出来たなら、、と切実に思います。
確かに言えることは、「周りの誰かが気づいてあげること」ではないかと思います。
当時のこうちん少年はとても周りにSOSを出せるような状態ではありませんでした。
私は教育者でも医者でも何でもありませんが、少なくとも自分の子供達のことはしっかりと気付いてあげられるよう努力していきたいと思っています。
今日は「私のうつ病体験〜中学高校時代編」についてお話いたしました。
今後も時々不定期にこのテーマについて取り上げていきたいと思っています。
今日も訪問いただき、ありがとうございました。